これまでとこれからも

インタビュー

政治家(議員)になった動機(きっかけ)は?

幼少の頃から父親が政治家でしたので政治を身近に感じて育ちましたのでそういった視点は養われていたと思います。
子育てをする中で、小田原市の将来像につながる小田原駅周辺の市民交流センターUMECOのオープン、市民会館や市立図書館の建て替え問題などに携わり、また銅門上映を行っていた小田原映画祭のNPO理事として参加する機会もありました。そんな矢先に市議会から県議会へとチャレンジする女性市議が現れたことが大きなきっかけです。『市議会の女性の議席を守る』との思いから市議会議員選挙に立候補を決めました。

政治家(議員)として心掛けているところ。

『男女で一緒に社会を創り上げている』との思いが強くあります。たとえ子育て中、介護中の人であっても一票の重みは同じです。社会的弱者になりがちな方々の声もしっかり市議会に反映させていくことを心掛けています。

政治家として遣り甲斐を感じることは?

市民相談を受けて市役所の職員と取り組んだことで解決し、市民の方から『ありがとう』『うれしいよ』と声をかけていただいたときに遣り甲斐を感じます。
例えば、カーブミラーの設置、台風19号の河川の氾濫対策、早川の河口における岩石の撤去などが挙げられます。

力を入れている(入れていく)政策は?

大学では文学部の中でも演劇を専攻しました。女優になろうという訳では無かったのですが、歌舞伎や能・狂言などの古典芸能から西洋のシェイクスピアや映画史、民俗芸能など幅広く学びました。
そういうことから、できあがったばかりの小田原三の丸ホールの展開や小田原市の歴史・文化政策には力を入れていきたいです。

政治家にならなかったら何になりましたか?

政治家でなければ『絵本カフェ』や『キッチンカー』をしていたかな?もともとTVの世界へ行ってあちこち飛び回りたい人でしたが、子育てする中でそれはあきらめました。
しかし、人生100年時代と言われる昨今ですからまだ分かりませんね。いろいろ刺激的な人生であったらいいなと思います。

有権者(特に若い方達)へのメッセージをお願いします

小6のときにくす玉が割れて『やればできる』という言葉が出てきました。校長先生からのメッセージでしたが、今でも胸に残り支えてくれています。
最初からあきらめないで『やってみる』ということを心掛けてください。夢を夢で終わらせないで、自分を信じ続けて欲しいと思います。新しい時代は自由でのびやかな若い力やビジョンを必要としています。
ぜひ、いい方向に変えていってください!